公序良俗違反・権利の濫用

2017年12月13日。

この記事を見ると、彼も成長したのかな、と思う。

堀江貴文氏、井筒監督の発言に「人間として最低」 - 芸能 : 日刊スポーツ

彼が株を大量取得し、会社の買収を企て、社会を大混乱に陥れたことは周知のことであろう。法解釈上で許されるならば、何をしてもいいと言うのがその当時の彼のスタンスだったと思う。彼のしたことで、個人の生活が壊された人は多くいるであろう。公序良俗違反・権利の濫用の典型であろう。

上の記事では、その逆。人を、あるいはある特定の業種を貶める言葉は、「慎め」というもの。言い方を考えろ、というように言い換えた方がいいかも知れない。正しかったら人の生活に支障を来たしても構わないなどというのは、典型的な公序良俗違反・権利の濫用であろう。程度によっては、真実であっても名誉毀損罪になる。

信用毀損・業務妨害については、少しだけ異なった側面があると思う。逆の例となるが、真実を公表すると、信用が毀損され、業務に支障を来たすが、道徳や倫理を守り、社会秩序を保つことが優先される場合。

本当に無償化すべき教育

2017年12月12日。

堀江貴文氏、生活保護世帯への進学支援「無駄遣い」 (日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

この意見は、「大学無償化よりも、大学院無償化だろう」という、大学教員の声と同じ方向性を持っている。もちろん、モラトリアム的に大学院に進学した/する学生はいる。しかし、やる気のある学生、優秀な学生をプロモートするには、大学院無償化の方が圧倒的にいい。モラトリアム的に大学に進学した/する学生の方が、大学院に進学する学生に較べて圧倒的に多い。

堀江氏は、大学生の現状を理解していないが、大学の現場の教員でないので、当然。優秀な学生に対する経済的な支援は、不十分なのが現状。学費免除だけでは不十分。また、学費免除の件数は、必要数を下回る。

別の大きな問題がある。生活保護は最低限の文化的生活を営むためのもので、おそらく専門学校進学に対する支援は、大学はおろか専門学校の学費でさえその対象にならない。それへの対応が必要なのだろう。専門学校の学費を支援しなければ、貧困の連鎖は断ち切れない、という問題。専門学校の学費の支援を受け始めた場合、生活保護の継続が、法解釈としても難しいものがあり、窓口の実務としても困難を生じるであろう。教育を受ける権利は、能力に応じて等しく与えらるものである。したがって、「専門学校さえ」というケースが出てきても問題にならない。「最低限の文化的生活」は、能力は関係なく線引きをしなければならない。

適応障害

2017年12月10日。

既に師走も1/3を過ぎたのか。昨日、

雅子さま54歳に 感想全文:朝日新聞デジタル

のような記事がありました。これに関連して(「この記事に関連して」ではありません)、「皇后として病気を抱えたままでやっていけるのだろうか」との意味のコメントが見られます。

私はかつて適応障害の診断を受けていました。大学の改組により、昨年度に「材料系の教員が通信の経理グループに属して、予算と学生を分けてもらっている状態」が解決されました。精神科の一般としては、これをもって適応障害は完寛となりました。心膜炎による3日間の昏睡に至るまで自分を追い詰めてしまっていた私としては、適応障害の主因である職場の状況が解決されても、「自分を追い詰めない」ような認知行動療法的な“治療”が必要だと考えていました。“過労死し掛け”状態に至るまでの7年間は長すぎた。苦しい努力を重ねた。自分が自分を追い詰めるような「逆」認知「療法」を自らが行い、発達障害の行動様式をするようになっていた面もある。それにもかかわらず、「完寛で、これ以上なにもする必要はない」とのことで、まだまだ苦しい治療をを覚悟していた私としては、完全に拍子抜けでした。

「皇后として病気を抱えたままでやっていけるのだろうか」も、いざ主因が解決されたら、杞憂となるでしょう。本人や周囲の方も、私の場合のように拍子抜けする程度かも知れません。皇太子后から皇后になって、一気に主因が解決する可能性はあると思います。

発達障害に関しては、「発達障害の場合は、人とのコミュニケーションが苦手で・・・というのが多いが」と言う言葉に、私は「大学の事務方とネゴシエーションするのは、得意ですよ」「今まで、細かい作業がでいないことがあって責められてこともありましたが、膠原病の指のこわばりということで理解が得られえいて、だれも責めなくなっています」と言うやりとりを精神科医としました。私に対して発達障害の言葉を発した前々の主治医に批判的な言葉も添えられました。私は、膠原病の指のこわばりで細かい作業が苦手ことが、発達障害系のものが細かい作業を苦手とすることと共通していることは、世間に知ってもらってもいいと思いました。

最後に希望的推測を。大学の研究の専門を知らない人にとって、材料系の教員が通信から材料に戻してもらえることがそんなに劇的なこととは思えないでしょう。それと同じで、皇太子后から皇后になることが、外野からは改善とは思えないかも知れません。しかし、きっと「主因の解決」となる改善であるでしょう。

導入教育/創造科目 平成28年度2ラウンド目第1回

2017年12月9日。

昨日の午前の後半は、導入教育/創造科目 2ラウンド目第1回で、PERT(project evaluation review technique)法の簡単な演習。

前回に対して改善したのは、工程管理を行うに当たっての習熟度や疲弊度への対応の重要性の説明の際に、「フロート(ゆとり)」の術語を使ったこと。更には、日本化学会誌の巻頭辞が「ネガティブデータの共有とAI」だったことから、二つのことを述べた。2つ目が「習熟度や疲弊具合を見て、人員配置を調整するために工程表にゆとりが必要だが、習熟度や疲弊具合の見極め方はどうしたらいいだろうか」という点について。大工の棟梁は習熟度を見て仕事を任せたり、疲労度を見て休憩を入れたりする。それによって事故が起きないようにしている。「そんなもの、何十年もの経験で培うものなので、学生にPERT法でそれをやれといわれても無理」という反応はあり得る。逆に、「自分も経験を積めばできそうだ」という言い方もできる。失敗から学ぶということだが、それを短期間でやる方法は、人の手伝いをすること。自分が失敗をすると、精神的にもダメージは大きいし、卒業研究等での失敗は経済的や物的な損失を伴うかもしれない。お手伝いをして、危ういところや人の失敗にその場で立ち会う分には、それらは無いか少ない。身体的ダメージが伴うような失敗については、場合によってはお手伝いでも害が及ぶことはあるが。

AIとの関連でのコメントが第1のもの。これは、自己評価の「PERT法によって新しい問題が解決できる」に関すること。教壇を降りてからは発言することはあるが、壇上では初めてです、とお断りしてのコメント。今まで人間の頭での検索では、A1条件でもA2条件でもA3条件・・・でも上手く行かないから、その周辺に解を探すことはやめよう、となっていたところ。AIを使って検索したら、その範囲内にスポット的にすごく上手く行くものがあった、ってのはあり得る。

実際の授業は、第1ラウンドと実質的に同じ。ただし、卒研生に「卒研の工程において、PERT法の考え方により改善された点などがあれば紹介して欲しい」と頼んで、卒研の現場に近い声を言ってもらったことは良かった。その学生には10月初めの第1ラウンド第1回目の授業に出てもらったが、もっと早く「パラレルタスクとクリティカルパス」の考え方に基づいて計画を立てていればよかったとの言葉があった。また、11月末になって、例題のアローダイアグラム中のイベント〇に達するができたような状態であるという解析も、ためになったのではないだろうか。

NHK受信料

2017年12月6日。

そうか、こんな判決の結果になったか。

NHK受信料“合憲”未払いの人に影響は?(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース

しかし、これでNHKは破綻を間逃れた、というのがたった今現在の状況でしょう。将来的には、これによって破綻する可能性のある一般家庭の割合が増えるでしょう。

今まで問題だったのは、訪問集金員が「末端」だったこと。例えば、「NHKの受信料は一括で払いましたよ」という返事をしても、末端の集金員からは「後で担当者が調べて清算しますから、今日は支払いの手続きをして下さい」などと返され、こちらからと言わせない限りは二重取り状態のまま放置される。これは、大手携帯電話会社のオペレーターが末端で何もわからないくせに、兎に角マニュアル対応をさせられているのと同じ。まとめて支払う割引が適用になっていないことについて、末端のオペレーターにとっては「こちらからは連絡は差し上げましたのに、お客様が対応なさらなかったために、まだ割引適用になっていません」というマニュアル対応になる。一ヶ月前に1回電話して、出勤していて留守になっていたものに対して、それは非常識というもの。NHKに関しても、二重取り状態のままの家庭は相当数に上ると予想される。特に、親元を離れた大学生だと、携帯なネット配信で十分だからテレビは買っていなにもかかわらず、受信料を支払っているケースは多いと思われる。親の家庭と一人暮らしの学生とをまとめて割り引く制度があるが、末端の訪問集金員はその情報を知らない。一人暮らしの学生に割引制度があると行って契約させておきながら、親の家庭の訪問集金員はその情報を伝えられていない。

そのような二重取りの返還の一斉請求を行ったら、今回の判決前ならば、NHKは経済的に破綻したと思う。今回の判決で、ちょうどペイする感じになったのでは無いだろうか。遡っての集金で家庭が経済的に破綻しては困るからと、その辺りの清算をする件数が激増するかもしれない。NHKの事務処理量は半端なものでは無いだろう。ペイするケースの処理が済んだら、以降は家庭からNHKへの支払いのケースが残るだろうから、NHKにとってはプラスだろう。一般家庭でも、テレビ受信機は廃棄しましたとか、ケーブルテレビの契約は取りやめましたなど、一人暮らしの大学生のようにするところも出てくるかもしれない。末端の訪問集金員がそうするように「強要」するケースも出てくるかもしれない。

講義1(後期開講分) 平成29年度16回目

2017年11月29日。

昨日で後期の講義1も終了。最終回は、目標2(後半)の試験。その後、試験の解説と目標2の演習の解説。最後に授業評価アンケート。

試験問題に配点ミスがあることを学生が試験終了後に指摘 - 学生に有利になるように訓欄埋問題の「同じ語の入る(ことが自明な)」空欄にそれぞれ点数を与えることに。しかし、その恩恵を受けた学生は1名のみ。ほとんどの学生が「ボロカス」。その問題の含まれていない方の出来はいい。反省点がある、「交線」を「支線」と書いてる(講義でそう見えている)学生が散見される - 遠くからでも誤読されない文字を書くようにしなければ。

演習はフーリエ変換。全くできなかった学生からの演習再提出、全くできなくて提出していなかった学生からの再扱いの演習提出が授業後に複数件。「解説を聞いて、使えていたところが解決した」との言葉を添えたものも。

試験補助を頼んでいたTAがすっぽかしをやりやがったので、出席のチェック等に少し手間を要した。それは、手間取っている間に不正の疑義のある行為をやられたら、手に負えないことを意味している。幸い、それはなかった。

予告編の紹介。複屈折については、かつてフレッシュマンのためのセミナーを頼まれたことがある。その内容の一部を3年生の計算機実習でやります - ジョーンズ計算のことです。〇〇先生を知っていますか(知らないという反応)。私が「複屈折は高校でなじみのあるものですよ」と学科紹介のホームページに複屈折の語を入れようとしたら、〇〇先生は同意された上で「高校生の嫌ってるものです」と。そのキーワードを入れると高校生に嫌われると言われたことを紹介。講義1のTAは、忙しくて返却用の採点済みレポートのコピーが遅れることはあっても、すっぽかしをやるようなことはないので、今日はよほど忙しかったのかも知れない。計算機実習のガイダンスですっぽかしをやったTAは、そんなに嫌っているですかね。。。冗談ぽっく言ったのであって、偏光・複屈折は嫌な分野ですよって訳ではありません。

スピーチコミュニケーションの方法

2017年11月28日。

私がマスターコースに在籍していた頃は、バブル後期でした。私は、マスターを修了して大学の教員(助手)になりました。そのときの教授は、私に「学位(博士)取得を第一に」と言ってくれていましたが(そのうち、言わなくなりました)、私が学位を取得する前に急逝してしまいました。その教授がよく「スピーチコミュニケーションの方法」と口にいました。それを思い出す昨日のエピソードを紹介します。

赤を白と納得させる話術が必要だと言うのが第一点。第二点は、人の一番弱いところを攻撃して、その人の本気を出させるというものでした。もちろん、第二点に関しては、思想信条や宗教や人種・民族、身体的欠陥、出自や成育環境等の攻撃は禁忌であるこてとは言うまでもありません。その言うまでもないことを攻撃されて傷付き、私はこころを閉ざしたところがありますが、そのようなことをされた方はその教授と付き合いのあった肩の1/3位いたようです。もちろん、逆に「本気」、つまりプラスだった方も同じ程度の割合いたようです。

エピソードは第一の点について(大学教員として、真理を追究することが一つの使命でありながら、真理を言葉で言いくるめることの問題点の指摘ではありません)。右足の指の爪下に内出血をし、昨日の昼過ぎまでエレベーターを使っていました。私の2階までエレベーターを使ってごめんよという言葉に、ある学生が「先生、2階までエレベーターを使うんですか」と。階段を登るのに困難があるから・・・御免よの行間を読まないだけでなく、それを言わせない口調。仕方ないので「それなら、階段で行くから、肩を貸してね」と。その学生も快く同意。階段の一段目を踏む直前に「先生、一体どうされたんですか?」。それに次いで「足の指が出血していて」「それなら、エレベーターを使って下さいよ」のやり取り。赤を白と言わせてしまう(今回は、赤を赤と言わせない、ですが)と、支障が出るんですね。

その学生は、私がやつれてやせて行くのを見ても気付かず、他の学生が「先生、最近やせて来ていますけど、大丈夫ですか」と言うのを聞いても、「何のことか全くわからない」とのレスをするやつ(昨年のこと)。ひとをの歩の進め方(左右の違い)を観察できず、肩を貸すことによって初めてひとが体のバランスを崩していることがわかるのかもしれない。いろんな側面で私は見てわかる方の者でなければならない。