新入生に対する導入教育のプレゼン3回目と4回目

2016年5月19日。

5/17に3回目、本日が4回目のプレゼンで最終。

演習の試験の採点に時間を取られ、うっかり3回目のプレゼンの最初のグループのに間に合わなかった。3回目には、嬉しい内容が2つあった。ひとつは、大学は基礎研究をし、企業が実用化を行うような「分業」が今後は必要になってくるのではないかという観点を述べてくれたもの。もうひとつは、ITの「罪」と言われているものは、たまたまITがそれが表に出る舞台だけだったのであって、ヒューマンエラーなのだ、という気付き。

前者については、基礎研究に対するクラウドファンディングにも既に気付いていた。ただ、例えばと断って、5年後に実用化の目処がある基礎研究には研究費が付くが、50年後だと付かないという例を出し、対策の前に理由を問うたが、対策のみについての応答であったことは残念であった。

後者に関し、工学倫理ないしは科学者・技術者の倫理で教える、安心と安全の区別に自ら気付いてくれたことが嬉しかった。自動車は必ずしも安全ではないが、安心してしまって、日常生活の「ふつう」になってしまっている。人間が操作を誤れば、事故が起きる。ITの危険性も同じ性質のもの。全くその通りです! 更に、いじめを例に、学校でいじめが起きるのは「いじめの舞台となりやすかったため」で、ネットいじめも同じ。人間に問題が内在しているのであって、それを学校が問題(学校がなければいじめは起きない)というのは間違い。ネットをはじめとしたITでも同じ。こういう指摘は嬉しいね。もうひとつ、「AIの人権」と言うことで、目から鱗の発想の転換に気が付いた。AIに人権を認めるべきでなく、誤動作を起こす(間違った学習の結果になってしまった)AIは停止させるべきと言う主張は自然でしょう。AIに人権を認め、誤った人格に成長してしまったAIには、人間と同様に刑罰を適用するような措置をして、停止させる、と言うのがあり得るんですね。

4回目のプレゼン。だんだん洗練されたプレゼンになっている。内容としては、バーチャルリアリティ関連のものがあった。私は、ICUで3日間昏睡中に「見た」ものがあったわけで、「それ」が最終的には残るのかな、とも思います。つまり、電気信号に変換されたものを、脳がどう感じるか? バーチャルでも、当人にとってはそれしかない訳です。脳内の電気信号が全てだったものが、いざ生還すると、最低限の生体機能だけが残った自分、自分がいた訳ですが。わざわざ、フィジカルがあるのを捨てて、脳内の電気信号だけの世界に入ることに「勿体無い」と思うこともできます。

さて、バーチャルリアリティーのデメリットについて。バーチャルリアリティでなくとも、引きこもってゲーム漬けの生活になって、体力が衰えてしまうケースがあるとの指摘。筋肉が衰えてしまう、と言うことに対しては、神経を刺激してホルモンを分泌させて筋肉を保つことはできるという指摘を私はした。それに加えて、しかし、骨は衰えてしまうでしょう、とも。いずれは、骨が衰えないようにすることもできるようになるかもしれない。すると、IT認知症とか、ITの害で「現実の”ひと”との距離感がわからなくなってしまった」というのも、それを治療するような神経への刺激法が開発されるのかもしれない。

社会貢献をするために学んでいる、というセンテンスを含んだプレゼンがあった。どの学科でも社会貢献をしたいと思って学んでいるんでしょ? そうでないもの、学問ってあるの、って意地悪質問になるが、って断ってしてしまった。どうやら、「工学倫理や科学者・技術者の倫理の問題で、ディストラクティブになることがある」との指摘だった。うわ!!! 戦争を推奨するような論理以外に、あることに気付いてしまった。優生学! いや、政治の場に優生思想が出てくると危険なのか・・・