入院中です

2018年2月14日

原因不明の胸水で入院中です。原発不明がんとしての治療開始も検討される中、頑張って組織の免疫染色の結果を待ちました。特殊な血液の疾患が示唆されるとの速報が昨日の時点です。約1ヶ月掛ました。まだまだ先行きはわかりませんが、少し希望が見えて来ました。

適応障害

2017年12月10日。

既に師走も1/3を過ぎたのか。昨日、

雅子さま54歳に 感想全文:朝日新聞デジタル

のような記事がありました。これに関連して(「この記事に関連して」ではありません)、「皇后として病気を抱えたままでやっていけるのだろうか」との意味のコメントが見られます。

私はかつて適応障害の診断を受けていました。大学の改組により、昨年度に「材料系の教員が通信の経理グループに属して、予算と学生を分けてもらっている状態」が解決されました。精神科の一般としては、これをもって適応障害は完寛となりました。心膜炎による3日間の昏睡に至るまで自分を追い詰めてしまっていた私としては、適応障害の主因である職場の状況が解決されても、「自分を追い詰めない」ような認知行動療法的な“治療”が必要だと考えていました。“過労死し掛け”状態に至るまでの7年間は長すぎた。苦しい努力を重ねた。自分が自分を追い詰めるような「逆」認知「療法」を自らが行い、発達障害の行動様式をするようになっていた面もある。それにもかかわらず、「完寛で、これ以上なにもする必要はない」とのことで、まだまだ苦しい治療をを覚悟していた私としては、完全に拍子抜けでした。

「皇后として病気を抱えたままでやっていけるのだろうか」も、いざ主因が解決されたら、杞憂となるでしょう。本人や周囲の方も、私の場合のように拍子抜けする程度かも知れません。皇太子后から皇后になって、一気に主因が解決する可能性はあると思います。

発達障害に関しては、「発達障害の場合は、人とのコミュニケーションが苦手で・・・というのが多いが」と言う言葉に、私は「大学の事務方とネゴシエーションするのは、得意ですよ」「今まで、細かい作業がでいないことがあって責められてこともありましたが、膠原病の指のこわばりということで理解が得られえいて、だれも責めなくなっています」と言うやりとりを精神科医としました。私に対して発達障害の言葉を発した前々の主治医に批判的な言葉も添えられました。私は、膠原病の指のこわばりで細かい作業が苦手ことが、発達障害系のものが細かい作業を苦手とすることと共通していることは、世間に知ってもらってもいいと思いました。

最後に希望的推測を。大学の研究の専門を知らない人にとって、材料系の教員が通信から材料に戻してもらえることがそんなに劇的なこととは思えないでしょう。それと同じで、皇太子后から皇后になることが、外野からは改善とは思えないかも知れません。しかし、きっと「主因の解決」となる改善であるでしょう。

メトトレキサート8mg/週

2017年4月13日。

今月に入ってから、メトトレキサート8mg/週です。関節リウマチなどの標準的な量ですが、やはり、関節症状は出てますね。最初は、爪を切ってもいないのに、深爪したときのように歩きにくかった。それは直ぐに慣れましたが、左足の小指が返るんですね。これも慣れましたが、小指の爪の上の軽い皮下出血は残ってます。皮下出血が治りにくいのは、膠原病患者だから仕方ないでしょうね。幸い、板書できないような、手の指の症状はない。膝は、たまにガクッと来る。足もいろんなところにぶつけますが、上体もぶつけることがありますね。人ごみを避けて階段で講義室へ向かうときに、集団で階段を下りる学生とすれ違い、ヒヤッとしました。

腎臓の負担を減らすために免疫抑制剤を減らしてみましょう。新年度、新学期の始まるこの時機にこれは、ちょっと迂闊に思えますね。月末の診察のときまでに、ある程度は慣れると思います。関節症状をカバーするように筋力をつければいいことに関し、その時間が余裕をもって確保できる時機だと良かったのです。

このブログは、闘病記ではない。「成人スティル病の患者が頑張っている姿、復活した様子を発信し、他の同様な病気等の方を励ましたい」ということはブログを綴りはじめた頃に書きました。しかし、多少は闘病記的なものも混じりますね。久しぶりにそのカテゴリーでした。

私が大学合格した春に彼岸仏になった祖母

2017年3月26日。

私の祖母が死んだのは、30年以上前のことですが、私が大学に合格した春の彼岸のことでした。脳血栓による脳軟化症が進んでいたので、私の大学合格はどの程度の認識だったか。私の祖父が腸閉塞でギャンブル的な回復手術で一命を取り留めたのは、私の父が高三のときだったと聞いています。

私の長男が東大に合格したことに、私の母は大変喜んでいます。私と同様に、一年待った喜びの日でした。しかし、母は喜びの日の数ヶ月前に脳梗塞で目が不自由になってしまいました。私が心膜炎でギャンブル的なステロイドパルス投与で一命を取り留めたのは、長男が高二になる3月のことでした。

似たような歴史が繰り返しているようです。父の苦労と似たような状況を長男に経験させたわけでした。しかし、すこしづつ状況は改善しながら。父は、家計を支えながら大学に通いました。苦学が祟り、休学もしました。私の長男には、そのような苦学をさせることはないと思います。

息子を通じて親孝行ができました。状況は似ていますが、私の父が私を通じて私の祖母にした親孝行に較べると、伝えた喜びが何倍にもなって返ってきたかどうかが大きく違います。実際に肉声で返ってきたことは、やはり比較できないくらい大きいと思います。私は浪人をしませんでした。長男の場合は一浪しているので、私の母の脳梗塞の後遺症の程度によっては、喜びが肉声で聞けなかった可能性もありました。

子供を通じての親孝行ができて良かった。

過労死等防止シンポジウム

2016年3月28日。

筋力、特に背筋の回復に遅れを感じます。少々きつくても、筋力を回復させたいと思います。先日の近所の剣道場での稽古で、小中学生に踏み込みの練習を重点的にやらせました。腰が入ってなかったので、腰を入れた踏み込みをやって見てから一緒にやりましが、筋肉量が十分でない中学生には辛いようでした。実は、私も昨晩から少し・・・。先日図書館へ調べものの続きをやりに行った時に、階段で二階へ上がれたことを考えると、それのできなかった昨年の12月のときよりは状態はいいのかもしれません。

先日、過労死等防止シンポジウムというのがあり、聞いて来ました。

夫を過労死過労自殺でなくした方からの話に、涙を流しておられる聴衆がおられました。話している方も涙を流しながらでした。私は、過労死しかけ、奇跡的に一命を取り留めた稀有なケースの者です。その立場からは、過労死過労自殺の遺族からのお涙頂戴話を前面に出し過ぎの感を抱きました。

私はうつ病には至っていません(適応障害の診断名でした)。しかし、希死念慮は歴然とありました。自殺企画はしませんでした。家族に心配を掛けまいと希死念慮は隠しました。遺族からの話では、家族に心配を掛けまいとする「過労死しかけ」の方のいじらしい心が見えてきません。希死念慮と「死の予感」は、明確に区別できるものでないので、心配を掛けまいとして隠したのは後者なのかも知れません。愚痴の形の”社会”への不満のようなもの、あるいは組織(私の場合は大学の学科)や特定の人への怒りは口にしていました。例えば、「死の予感」を隠すために「怒り」を口にしている、という行動のから、いかに死の危険を読み取るか、というようなノウハウを教えてやって欲しい。

さて、過労死等防止法ですが、過労死は原因が脳血管疾患・心疾患とするものとなっているようです。私の場合、心膜炎で死に掛けたのですが、そのまま「無菌性心膜炎」で死に至っていたら過労死だが、成人スティル病という自己免疫疾患(膠原病)の一つの症状の心膜炎ということだと、過労死とは認定されないのかもしれません。自己免疫性心膜炎が死因ということだと、微秒ですね。福岡逓信病院の病気のプロファイルのNo.43には成人スティル病の発症前に精神的ないしは肉体的な大きなストレスがあることが報告されているとの記述がありますが、過労死しけるような職場の環境であっても、「それによって破壊されたのは免疫機構であり、脳血管系や心臓の系統でない」となれば、過労死にはならないのだろうか? 疑問が沸きました。

しかし、労働局に「組織の方針には口出しできません。パワハラとしてなら仲裁に入れます。」との対応をされてことのある私にとって、このようなシンポジウムが開催されることは大きな前進です。労働基準局が後援にはいっていることは、大変こころ強いことでした。更に発展させて下さい。

花粉アレルギーの思い出

2016年3月24日。

花粉アレルギーで辛い方がいらっしゃいますね。そんな季節ですね。花粉アレルギーの思い出を綴っちゃいます。成人スティル病もそうですが、チャーグ・ストラウス諸侯群など、膠原病の方でアレルギー体質だった方って頻例ですよね。

アレルギー性鼻炎・アレルギー性気管支炎・気管支喘息咽頭炎(全部で5つ病名が名並んでいたはずで、もうひとつは、併発していたアレルギー性結膜炎でなくて・・・思い出せません)が病名に列記されていて、咳が3ヶ月余り続いていたことがありました。15年位前のことだったでしょうか? なんともならないので、総合病院に掛かりなおして、フスタゾールで無理やり治しました。その年の夏の初めの健康診断の胸部X線では、要検査でした。集団検診の小さな像でも、何やら写り込んでいました。フスタゾールで咳を抑えて暫くしてからの胸部X線では、何も写っていませんでした。がんならば半年後に検査すれば引っ掛かるから、とのことで半年後にもう一度撮りましたが、何も写っていませんでした。

アレルギーが酷いと、鼻炎や結膜だけでなく、気管支にも症状が出るんです。皮膚にも出ます。腸に出ると下痢をします。これは12-3年前のことかな。アレロックが切れて耳鼻科へもらいに行った待ち時間に、皮膚の発疹とともに呼吸困難になったこと。過呼吸になってしまい、「ゆっくり深く・・・」って廊下で措置をしてもらった後、内科に回されました。前日の下痢からの継続だったようですが、内科での問診ではそれを聞き出してもらえませんでした。家族で買い物中に発疹・呼吸困難で座り込んでしまったこともありました。何やら感染症で世間が騒いでいた時期で、式場でその状態になるとパニックになるのでと、葬式への参列を断られました。

最近のこと(成人スティル病の心膜炎で死に掛ける前年のこと)では、看板にアレルギー科の文字もある医院で(気管支喘息のために定期的に通院していた)、キーボードが上手く打てないことがあると訴えたのに対し、「?」だったこと。これは、ちまたの花粉アレルギーでありませんが、春先のことでしたね。今思えば、成人スティル病の前兆(一症状といった方がいいのかもしれません)の指のこわばりだったんですね。その年の夏には、寝汗が酷くて検査を受けましたが、大学病院に入院中に研修医の問診でそれを聞き出され、成人スティル病の前兆だと言われました。免疫系の疾患であるアレルギーを専門に掲げる医院が、二つの兆候を見逃されたことに悔しさを感じます。

皆さん、ご自愛なさって下さい。