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ブラック被害者予備軍

社会

2015年7月30日。

「絵入り年賀はがきデザインコンクール優秀作品」というのに次のものがある。

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
今年はA君が大学の助手として歩き始めることになりました。小中学生の頃リヤカーを引いたり耕運機で畑を耕したりもしました。彼の望ましい人間性と向学心とたゆまぬ努力が、正しく評価されたものと思います。私の心に一つの灯が灯りました。
1991年元旦
(住所 略)
(氏名 略)

 

1991年、バブル後期まっただ中。その中で学問を志した訳である。向学心は評価すべきであろう。

さて、小中学生の頃にリヤカーを引いたり耕運機での作業をしたことは、単純に「努力」と評価していいのであろうか? 努力家と表現される人間性はその通りであろうが、「望ましい人間性」であろうか? バブル期に努力に対して、ダサいとか暑苦しいとかの言葉が返されたことがよくあった。そのような人間性に対しては、顧みるべき望ましい人間性という面はある。しかし、昨今のブラックな社会の中、使い潰されてしまうキャラクターである。ブラック企業の方針に則って「彼はここまで身を粉にして成績を挙げているんだ」と言うための道具となり、更には自分自身がブラック企業の方針の推進者となる者をブラック社員という。その予備軍の可能性もある。

会社で上司に叱責されると「親にも叱られたことがないのに」と、人間が崩壊してしまう新入社員がいる。親から有無を言わせずに「手伝い」をさせられたりした経験は、そのようなことに対しての耐性になる。しかし、過適応な働き方をしてしまう特性でもある。

概観すれば、今の40才代後半から60才くらいまでの世代は、叱られて育てられて来た世代である。世代全体が危険性を抱えているのだろうか?