スケープゴート

2015年4月30日。

成人スティル病に至ってしまった大学教員が「無事職場復帰を果たした」様子を発信し、同類の方を励ましたいというのが、このブログを始めたゆえんでした。教育問題は、大学教員にとっても大きな問題です。しかし、教育問題や社会問題について述べるのは、なるべく少なくするのがその趣旨に合っていると書きました。少ないものの一つを綴ります(卒業生を送る言葉や新入生を迎える言葉として、すでに綴っていますが)。

下のブログをフェースブックを通じて見つけました。

ご挨拶 佐藤信一 成城学園初等学校 桐組 | 成城学園初等学校桐組 佐藤信一からのメッセージ成城学園100周年

はじめの方しか目を通せていないので、そのブログにはコメントを書き込めていません。

タイトルに書きましたように、「スケープゴート」にされたんではないかと思います。もちろん、それは一面に過ぎません。私は大学教員なので、そちらからの見方が主になってしまいます。大学では、「アカデミックハラスメント」というのが十数年前から声高に叫ばれるようになりました。今でこそ、パワハラという言葉が認知されて、アカハラも同類のものとして一般の方も認識してます。

アカハラという言葉が歩みを始めた頃は、問題学生への対応を誤ったりすると、アカハラとして扱われてしまう傾向がありました。修了には到底及ばない留学生を不合格にして、アカハラで辞職した教授がいたことも聞きました。よちよち歩きのアカハラに対して、そんなことをしてまで「実績」を付けたかったのでしょう。そのスケープゴートにされて、人生を潰された方々のことが思いやられます。

大学におけるアカハラに関しては、今はそんな一方的なやり方はしません。工学系ですと工学倫理というものがあり、昨年は研究不正が世間を賑わし、大学教育においても重要性を再認識されています。学位を授与される学生の倫理だけでなく、審査を行なう教員の倫理性についても厳しくなっています。アカハラ加害者となることを恐れて、合格基準に達しない学生を修了させてしまうなどということは、許されない雰囲気です。厳正な評価を行った教員をアカハラ加害者に仕立て上げる=アカハラの実績を上げるための犠牲にする様な雰囲気はもうありません。(学生の雰囲気が変わっています - 実際に腹いせでアカハラの訴えを起こす学生に厳しい指導をしてみて、自分で検証するってことはできませんが。)

さて、そんな中、上のブログを見てしまったのです。「問題教員の処分を行った」実績を作りたかったという面があるようにも感じます。「保護者の要求に応えた」実績を作りたかったのかも知れません。

結論ありきで進められることあるんですね。例です。どうしても図の描けない学生に「最悪の場合は、あなたの卒論が終わってからの2月のうちに(その時期ならば、落ち着いて図を描くことができるでしょう)個別に対応するしか無い」という意味にことを言ったことに対し・・・その学生を卒業させない教員の意思が見えるって、「2月」ってのは「3月」を意味していて、言い間違えだと。更には、「2月」と書いた配布物があるにもかかわらず、それは間違いだ。卒業させない意思があって「3月の積り」のところ、間違いで「2月」となっていたのを、アカハラで訴えられたので後から「証拠」って言っているんだ。

社会風潮として、言ったもん勝ち - 言われたら負け - というのはなくなっていると思っていました。その感覚は、私だけのものではありません。しかし、まだ「負けを作ってしまう」行き過ぎた成果主義、あるんですね。