適応障害

2017年12月10日。

既に師走も1/3を過ぎたのか。昨日、

雅子さま54歳に 感想全文:朝日新聞デジタル

のような記事がありました。これに関連して(「この記事に関連して」ではありません)、「皇后として病気を抱えたままでやっていけるのだろうか」との意味のコメントが見られます。

私はかつて適応障害の診断を受けていました。大学の改組により、昨年度に「材料系の教員が通信の経理グループに属して、予算と学生を分けてもらっている状態」が解決されました。精神科の一般としては、これをもって適応障害は完寛となりました。心膜炎による3日間の昏睡に至るまで自分を追い詰めてしまっていた私としては、適応障害の主因である職場の状況が解決されても、「自分を追い詰めない」ような認知行動療法的な“治療”が必要だと考えていました。“過労死し掛け”状態に至るまでの7年間は長すぎた。苦しい努力を重ねた。自分が自分を追い詰めるような「逆」認知「療法」を自らが行い、発達障害の行動様式をするようになっていた面もある。それにもかかわらず、「完寛で、これ以上なにもする必要はない」とのことで、まだまだ苦しい治療をを覚悟していた私としては、完全に拍子抜けでした。

「皇后として病気を抱えたままでやっていけるのだろうか」も、いざ主因が解決されたら、杞憂となるでしょう。本人や周囲の方も、私の場合のように拍子抜けする程度かも知れません。皇太子后から皇后になって、一気に主因が解決する可能性はあると思います。

発達障害に関しては、「発達障害の場合は、人とのコミュニケーションが苦手で・・・というのが多いが」と言う言葉に、私は「大学の事務方とネゴシエーションするのは、得意ですよ」「今まで、細かい作業がでいないことがあって責められてこともありましたが、膠原病の指のこわばりということで理解が得られえいて、だれも責めなくなっています」と言うやりとりを精神科医としました。私に対して発達障害の言葉を発した前々の主治医に批判的な言葉も添えられました。私は、膠原病の指のこわばりで細かい作業が苦手ことが、発達障害系のものが細かい作業を苦手とすることと共通していることは、世間に知ってもらってもいいと思いました。

最後に希望的推測を。大学の研究の専門を知らない人にとって、材料系の教員が通信から材料に戻してもらえることがそんなに劇的なこととは思えないでしょう。それと同じで、皇太子后から皇后になることが、外野からは改善とは思えないかも知れません。しかし、きっと「主因の解決」となる改善であるでしょう。