スピーチコミュニケーションの方法

2017年11月28日。

私がマスターコースに在籍していた頃は、バブル後期でした。私は、マスターを修了して大学の教員(助手)になりました。そのときの教授は、私に「学位(博士)取得を第一に」と言ってくれていましたが(そのうち、言わなくなりました)、私が学位を取得する前に急逝してしまいました。その教授がよく「スピーチコミュニケーションの方法」と口にいました。それを思い出す昨日のエピソードを紹介します。

赤を白と納得させる話術が必要だと言うのが第一点。第二点は、人の一番弱いところを攻撃して、その人の本気を出させるというものでした。もちろん、第二点に関しては、思想信条や宗教や人種・民族、身体的欠陥、出自や成育環境等の攻撃は禁忌であるこてとは言うまでもありません。その言うまでもないことを攻撃されて傷付き、私はこころを閉ざしたところがありますが、そのようなことをされた方はその教授と付き合いのあった肩の1/3位いたようです。もちろん、逆に「本気」、つまりプラスだった方も同じ程度の割合いたようです。

エピソードは第一の点について(大学教員として、真理を追究することが一つの使命でありながら、真理を言葉で言いくるめることの問題点の指摘ではありません)。右足の指の爪下に内出血をし、昨日の昼過ぎまでエレベーターを使っていました。私の2階までエレベーターを使ってごめんよという言葉に、ある学生が「先生、2階までエレベーターを使うんですか」と。階段を登るのに困難があるから・・・御免よの行間を読まないだけでなく、それを言わせない口調。仕方ないので「それなら、階段で行くから、肩を貸してね」と。その学生も快く同意。階段の一段目を踏む直前に「先生、一体どうされたんですか?」。それに次いで「足の指が出血していて」「それなら、エレベーターを使って下さいよ」のやり取り。赤を白と言わせてしまう(今回は、赤を赤と言わせない、ですが)と、支障が出るんですね。

その学生は、私がやつれてやせて行くのを見ても気付かず、他の学生が「先生、最近やせて来ていますけど、大丈夫ですか」と言うのを聞いても、「何のことか全くわからない」とのレスをするやつ(昨年のこと)。ひとをの歩の進め方(左右の違い)を観察できず、肩を貸すことによって初めてひとが体のバランスを崩していることがわかるのかもしれない。いろんな側面で私は見てわかる方の者でなければならない。