公序良俗

2015年6月27日。

私が救急搬送されてたのが2014年3月8日、一時外出の許可が出たのは5月の下旬のこと。

平成25年度(2013年4月~2014年3月)の間、大学のある組織の「長」の付く役を仰せつかっていました。救急搬送になる前の2月までにその「会」のメンバーには、その年度に行ったこと(実際におこなったこと、解決すべき問題を掘り起こしたもの、会員の意識改革の必要性、改訂を要するような規則等の不備)を文書にして送信しました。形式的な次の役員ヘの引き付きは、入院中であったために、直接はできず「副」の方に代行してもらっいました。規則上は、「長」に不測の事態が起きて任務遂行に支障があるときは「副」が代行することになっている。それは、ほとんどの会則等に書かれることでしょう。更に私は、自分が追い詰められた状態であることは委員には伝え、「副」の先生には直接事情お話を致していました。

平成26年の「長」の先生は、平成25年度の最初の「ミーティング」のときに代理出席されていました。委員に私の状態を伝えるメールは、そのときにその先生にもccしました。そのときに、その先生から「弱い」「完全に隠して戦うべきだ」などなど、お叱りを受けました。私は、不快感を与えたことを謝罪し、「私に対して『軽蔑すべき弱者』の見方を持って、大いに軽蔑して下さい」と添えました。つまり、その先生の価値観は尊重すべきなのでそのままでいいと思うし、私も変えようがない。

そして、昏睡から覚め、何とか電子メール等が送れる様にしてもらって(しばらく、妻の判断で社会からほとんど遮断状態だったときは、辛かった)、「副」の先生をはじめとする委員に現状をお伝えしました。「副」の先生からは、不測の事態に際しての代行の報告も頂き、お詫びと感謝を申し上げました。昇給委員の投票の上位に私があったにもかかわらず、昏睡状態の私の意思確認ができずに次の方に受けてもらうことにお手間を取らせたことが、一番大きいことのように、その時は思いました。平成26年の「長」の先生にも現状報告をし、私が自分の価値観に従ったに過ぎない「弱みをさらすこと」を委員に対してやっていたことが、今回はよい方向に出たということも添えました。

平成26年の「長」の先生は、非常に元気な方で、過激でもあります。昨年の夏に学部の執行部からあることについての説明会がありましたが、その会の終了後に突然「教員会議」が開催されたことは、たまげました。医師の指導で不特定多数との接触を制限されていた私は、説明会には欠席致しました。従って、「教員会議」は事後に知りました。前年度の「長」として出席する必要があるならば、免疫グロブリンの輸血を受けてでも出席ことを考えていたところですが、突然では対処できません。もっとも、私が説明会に欠席したのは、2014年に2月に「会」のメンバーに後で「引いてこれるように」メールの文面を残すように伝えていたからです。

さて、ここからが本題。「執行部」がかつて言ったことを反故にするないしは骨抜きにしかねない・・・ということを平成26年の「長」の先生に、つい先日、報告・相談をしたことです。一番の公序良俗違反は、「そのときに引き継ぎを行わなかったから、もう遅い」というストレートな対応。私は、自分の事情はさらけ出しているんです。平成26年度はヒラの委員でしたが、病欠中は代理をお願いしていまして、「個人の事情により欠席」などとして隠すことはしていません。医師の許可を取らずに外出して、ステロイド100mg/日という状態で強制退院にでもなったら、死んでしまい兼ねません。引き継ぎの機会を別に設けたり、延期するのが妥当な事情でもそれを認めない。ドキュメントが残っているにもかかわらず、「引き継ぎを行っていなから」と、正論を通す「強さ」。ちょっと、弱い私にはついて行くのが苦しい状況です。

私は、規則で「授業中は携帯を切りなさい」となっているのに反して、「切らなくてもいい。いつ家族に不測の事態が生じるかもしれない。正規に事情を説明してくれれば、途中で授業を退席することも認める。」とず~っと言っています。もちろん、緊急性のない携帯等への対応を授業中にした場合にも説明を求めるので、学生はそれもやらなくなっています。出席不足の学生が後日「何とかならないか」とお願いに来た時も、「正当な理由ならば適切に応ずる。妥当と判断すれば、一人に対してでも補講を行なう。」としています。実父の一周忌の法要を喪主にもかかわらず欠席してしまった私は、法事の類の欠席も認めています。「死に目」にかかわらず、家族との別れについても考慮します(「ねーちゃんが海外へ行く前に家族で一緒に食事をしたいので。」「おねーさんが海外留学をして、4年間とか会えないから、その前に合っておきたいとかのね。いいよ。」「いいえ、ほんの短期の海外旅行です。」・・・)。

「正論」よりも公序良俗を優先する私です。少し過ぎている面もありますが、「正論」優先派から見たら、少しではないかもしれません。生命や人生を優先したいという こ こ ろ は、変わりません。