役に立つ研究

2015年6月13日。

著名なブログが久し振りに更新された。沈黙が長いと、心配になってしまう。少し安心。彼女もいろいろと苦労している人だから。その記述は、

その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省:朝日新聞デジタル

とも関係ある事項でしょう。

論文数あるいはインパクトファクターの積分値でもって「研究者を測る」やり方が問題なのは、強く同意します。研究費を取るためには、そのような業績を稼がなければ仕方ない事情があって、業績稼ぎに忙しいので「測り方を変えよう」なんて言い出す余裕はありません、というのも事実。関連して書かせて貰えば、研究費獲得件数・額自体が業績としてカウントされるのも問題。本質でないことで飾って、研究費の額に見合ったプロジェクトに膨らますのは、本末転倒ですね。ゼロではやっていけませんが、研究費が少ないとオンリーワンの研究がその研究者の中で重みを増すことになります。インパクトファクターも問題ですね。研究者人口の多い分野でないと、インパクトファクターが上がらないから、オンリーワンの研究はやりにくい、となってしまう。。。。

私の「短絡的成果主義反対」は、随分昔からです。「役に立つ研究」が短絡的に成果を求めることと等価になってしまってはいけないという主張です。

何らか課題があって、例えば困っている人、病気など、があって、それを救いたい、解決したいというモチベーションを持つことは素晴らしいことです。不便があって、不都合があって、それを解決しようというのは素晴らしいことです。

基礎研究は、長期的に見て、そのようなことを解決するポテンシャルを秘めている。長期的に見て役に立つのが基礎研究で、短期的なのが応用研究だ。などという見方に対し「偏った見方だ」と指摘したい。もちろん、「基礎研究段階では何の役に立かわからなかったけれども、長期的には役にたったね」という研究はあります。いいことです。

長期的に見て「即物的成果」が期待できるから、この基礎研究をやろう。このようなのは、偏った評価基準ですよ。時間的には長期かもしれないが、即物的=短絡的成果主義のバイアスが掛かっている、と思うのです。

そういうものとは無関係に、純粋に「新しいモノの見方」を創出するという側面も同様に評価すべきなのです。

昨日の新聞の読者の声の欄に「文系学部出身で済みません」という投稿と多様性が損なわれる危険性を危惧する投稿を見た。前者には同情しつつ、「モノの見方」という主張をして欲しかったと思ったところです。後者は、完全に同意。

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