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声を失った音楽家

2015年4月5日。

声を失った音楽家からの新入生への言葉がちまたを賑わせている。

「私も声を失って歩き始めたばかりの1回生。みなさんと一緒です。こんな私だから出来ること。こんな私にしか出来ない事。そんな事をこれから考えながら、生きていこうと思います」

つんく♂が声失う 「生きる道を選び」声帯摘出 - BIGLOBEニュース

つんく♂さん 声を失ったこと公表 NHKニュース

喉頭がんで治療中のつんく♂ 声帯を摘出し声を失ったと明かす - ライブドアニュース

【つんく♂祝辞全文】一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選んだ(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

つんく♂さん:「声を捨てて生きる道を」声帯摘出告白 - 毎日新聞

新入生への言葉として単独で捉えれば、とてもいいものでしょう。。。

失ったから見えてくるものもある。正確な引用にならないので、要約だけ記す。100mを歩くのに1時間掛かる子に対しての「あんな子、生きていて何が楽しんだろう」という言葉について、「その一時間の間に草花や小動物と会話をし、とても豊かな世界を経験している」と返すものである。健常者では感じることのない豊かな世界を知っているのである。貧しいのは、「何が楽しい?」と発した人のこころ。

私がこのブログで発信したいことは、ブログ開設の頃に書いた「成人スティル病に至ってしまった大学教員、心膜炎での瀕死状態から奇跡的に生還した大学教員が、頑張って職場復帰を果たしていること」で、それを通じて闘病中の方を励ましたい、というものです。声を失った音楽家が復帰するのは、更に困難でしょう。更に大きな励ましになることでしょう。

しかし、現実を見て下さい。

励ましに乗って、「カラ元気」を出してしまう事のないように。それは、私のように「過労死しかけ」への道につながり兼ねません。過労死への第一歩なのかもしれません。命を大切にして下さい。身体を大切にして下さい。辛かったら、SOSを発して下さい。助けを求めて下さい。

現実について更に書くならば・・・ハンディを負ってしまったら、やはり出せる成果は減ります。これに対し、私は「そう言う見方は、短絡的成果主義・行き過ぎた競争の弊害だ」と言って来ました。私は、難病患者になる前から言っています。

途中を省略して結論を書きます。「生きている命は奇跡である。それを粗末にするのは、間違った生き方である。」ということを、私のような人間は実体験を通じて人に語るべきなのである。それが「『私』にしかできないこと」です。