aska_burnishstone’s diary

2016年12月23日。

時間があれば、aska_burnishstone’s diary、コメントを含めて片っ端から読みたい。「お茶と尿」「ずっと考えていました」などのことです。

以前に「アカトラップ返り討ち」の書き込みをしました。そこで書いた事例と似た点がある。つまり、最初から有罪のシナリオが出来上がっていること。

私が紹介した事例では・・・実際に「卒業研究が終って余裕ができたら(学生に再試験相当の措置に対する復習の余裕ができ、かつ教員にも学生に合わせて指導を行う余裕ができたら)、2月に対応する」というプリントを配布し、口頭でも説明し、学生も納得しているにもかかわらず、「プリントで2月となっているのは3月のミスプリントで、口頭で2月と言ったのも3月の言い誤りで、その教員の学生を卒業させない意思があっての3月だ」ということをやられた。(その教員が誰なのか、自身のことを第三者的に言っているのか、同僚なのか、または他大学の共同研究者なのか、・・・ここでも一切明記しません。)

私は科学者ですので、「ものさしが非線形過ぎる」という表現をします。都合の悪いデータは、誤差だとか測定ミスだとかとする。人為的な色彩の強いミスでも、都合が良い場合は、「そういうデータを排除しないことが、バイアスの掛かっていないやり方」などと。

一般の方に対しても言いたい。物的証拠が残っていても、「妄想」と言ってしまったこと、あるでしょう。そして、真実かどうかよりも、「妄想」の度合いを論点にすり替えたことがあるでしょう。

私は過労死し掛けから奇跡的に一命を取り留めたました。免疫系が壊れてしまい、「成人スティル病」という自己免疫疾患の状態です。職場環境配慮義務を履行してくれるよう、いろんなところへ救いを求めていました。復職してしばらくの間は、外部からの電話がノイジー過ぎて、支障がありました。ここで言うノイジーとは、電気的な雑音のことで、裏に音声等が重なっているということではありません。フィルターが掛けられていて当然です。マスコミがコンタクトして来ても不思議でない状況です。マスコミが正義感をもって取材してくれるかどうかはわからないので、私も手放しで乗る積りはありませんでしたが(主もしろ半分でも、それによって過労死への路が解決されるならばいい、という状態は過去のことでしたので)。

さて、わかりやすい話に変えましょう。窓の外に人気(ひとけ)を感じる、ってたまにありますよね。妄想の度合いが高いと、普通の精神状態ならば「不快」に感じる程度のことに対し、「監視されている」などと感じます。通常よりも過敏なっていることが、例えば精神疾患の前兆であることはあります。私の場合ですと、ベランダが学生の喫煙場所になっていて、不快に感じたことがありました。それを「被害妄想的な過敏さ」と言って攻撃されたら、たまらんですな。

さて、今回のこと、「薬物の後遺症の精神症状」で肩付けられてしまいませんように。検尿にお茶を入れたことは、一般的には「疑い過ぎ」と判断される行動であったことは確かでしょう。トラップがトラップ返しになっていて、事実は小説よりも奇なりですな。常識的範囲では疑い過ぎでも、物的証拠があるので、上に書いたような「書き間違い」「いい間違い」では、何ともしようがないですな。

計算機実習 平成28年度その2の第1回目

2016年12月21日。

計算機実習は、後期(10月から2月)を3つに分け、3テーマづつ選択することになっている。I期はイジング模型のモンテカルロシミュレーションを行っており、III期にはジョーンズ計算を行わせている。ジョーンズ計算とは、偏光状態に関する計算法の一つ。昨年度から担当している。他大学へ転出された先生のやられていたテーマだったが、新任の先生をその担当者の枠に入れる際に、このテーマが私の守備範囲であることを指摘してくれる方がいて、二つのテーマを何れもその助教の先生と共同でやっている。

本日が第1回目。1回目と2回目が講義。残りの3回で実際にセナルモン法に対する計算を行ってもらう。昨年度と全く同じ。

実は、このテーマは来年度と再来年度を限りに廃止したいと、昨年度は考えていた。しかし、やはり必要です。「結晶光学」が必要なんです。本年度から私はナノフォトニクス材料の研究グループに入っています。異方媒質中の光学特性の評価は、分かってなきゃならない学生がいるんですね。従って、廃止にはしないことにします。しかし、分かってないようで、来年度にTAを行うために見学に来るように誘っても、来ないんですね。強制的にTAをやってもらうしかないかも知れません・・・つまり、一年のディレイが生じるんですね。

講義の後に数式計算のためにMaximaの説明を助教の先生にやってもらう。その後、偏光板におもちゃのフレネル菱面体をはさんで遊ばせる。液晶ディスプレイに偏光板を当てるのと、液晶ディスプレィの偏光板の間にフレネル菱面体をはさむのも、学生は楽しそう。

さて、これで新年まで授業はない。無事に今年も終れるでしょう。

導入教育/創造科目 平成28年度2ラウンド目第2回

2016年12月17日。

昨日の導入教育/創造科目 平成28年度2ラウンド目第2回、第1ラウンドと同じで、乾燥コロイド結晶が反射する光の色からコロイド粒子の粒径を見積もる演習。

第1ラウンドでスライドガラスの濡れが悪くて、薄膜状にコロイド分散液を伸ばせないケースが頻出したので、前日にスキャットで洗浄。汚れの残ったスライドガラスも多くあったが、第1ラウンドよりは劇的に改善された。そのためか、二種類目のサンプルの実験を行ったグループが複数でた。

ところが、提出されたルーブリックを見て、ショック。第1ラウンドでは「望みの光学フィルターの設計ができる」という、”将来性が豊か”なものが頻出であったが、今回は「手引きに従って何とか粒径を見積もることができた」というものが非常に目立った。思い出せば、演習の途中に様子を見て回ったときに、穴埋め式の問題を解く形で粒径の計算が完了するようにしたプリントで√がそのままだったりのが目に付いた。前回は、応援の教員がいて、丁寧に面心立方格子の格子定数と最近接粒子間距離の関係を「高校の化学でやったなつかしいもの」という感じで、丁寧に教えてくれていた。

乾燥の途中で、異なる二つの色の光が見えているという観察をした学生がいたのは、嬉しいこと。前回は、「例えば、青と紫の間に青紫色がありますね。赤紫色って何なのかわかりますか?」という問い掛けを無理やりして、m=1の次数のブラッグ反射とm=2の次数のブラッグ反射で説明できる二つの波長の光の混合で赤+紫が出てくることを説明。今回は、乾燥の過程で二つの異なる色の光を観察したものがいる、との前置きをして同じ説明を。しかし、前回と同様、全てのグループがm=1のみで計算してことは足りた。

教室の前の机でコロイド分散液やスライドガラスを配布したが、グループのテーブルまで戻らずに、受け取った隣の机でスライドガラス上で分散液の乾燥を始めた者がいたことには、困った。グループ全員で作業を行えるようにして欲しいとの希望がよく出るので、注意はしているが・・・グループ内で人間関係がギクシャクしているので、間に入って欲しい、というのもあるのかも知れない。グループ内でも、ラウンドテーブルの形で実験を行っていないところが多かった。

導入教育/創造科目 平成28年度2ラウンド目第1回

2016年12月9日。

光重合によるゲル化の実習をやりました。第1ラウンド第1回目と同じです。Y型の分岐で窒素バブリングを4つ同時にできるようにしたのが変更点です。前回は、1つづづしかできませんでしたので、時間切れになってしまいました。薬品の量を変えてゲル化を行ったグループが複数あったのはよかった。ボランティアの学生にやってもらったデモでは、前回私が行ったのよりも厚みのあるゲルができていました。しかし、複数の条件でやったグループも、細切れのゲルでした。しかし、ゲルモノマーの量によって手触りが違うことを観察したようです。ボランティアの学生さんは、ありがとうございました。

午後は学生委員の仕事。簡単なことが間に人が入りすぎて、実情が把握できずに滞っていました。「これは事実と異なる」と認識していることを、隣のキャンパスへ行って実質の担当者と直接話し、認識通りであることを確認しました。簡単に解決です。当該学科の教員は、前回にあった同じ類のことの顛末を知っているので、分かってしまうんです。

実質的に解決したので、午後の後半は卒業生に非常勤講師として来てもらっている講義を聴講。夕方は、それの研究室ゼミ版。ありがとう。

大学教員の将来に対する不安

2016年11月25日

本日の朝日新聞の記事

「優秀な人材が逃げる…」地方国立大、人件費削減に悲鳴:朝日新聞デジタル

大学教員は、身にしみて感じていることです。行過ぎた競争、成果主義の悪果です。私など、その犠牲ですね。過労死し掛けて、奇跡的に一命を取り留めたものの、免疫系が壊れてしまって。

さて、私を切るのは、もう難しいのではないかと思います。しかし、私が成人スティル病という難病患者になるのがもう少し遅かったら、「定期的に通院の必要がある」という指導の下で復職した者に、健常者と同じように競争を強いるのか、という感じにはならなかったでしょう。また、「年次休暇」を使い切って、傷病手当の出る「病気休暇」を数日使わざるを得なかったことも、いい方に働いていると思います。査定に響くので、年次休暇だけで乗り切れれば、病欠であることはおおやけにはしないものです。「行過ぎた競争、成果主義が個人も組織も疲弊させてしまう」ことを身をもって示すのは、自分自身のためでもあり、他の方が疲弊してしまわないため、組織が疲弊してしまわないためになっていると思います。

どうか不幸な方が出ませんように。

導入教育/創造科目 平成28年度1ラウンド目第3回

2016年11月4日

本日の導入科目の私の担当分の3回目は、PERT法の演習を行いました。もちろん、極簡単なものです。本格的な理論を理解していないとできないものは、私の手に負えませんので。プロジェクトマネジメント手法のうち、今まではブレインストーミングKJ法を行っていました。これの試行を始めたのは、「本年度」から一年生の前期の導入科目でそれを行う計画が見えたからでしたが、やっと実現しました。そこで、プロジェクトマネジメント手法のうちのPERT法を行うことにしたのでした。

これで第二ラウンドまで導入科目の担当はなし。第二ラウンドは12月からですが、第一ラウンドの経験により、少しは楽になるでしょう。計算機実習のもうひとつの課題も12月の下旬に入ってからです。これで、査読、招待論文、高校への出張講義のための「こころの余裕」ができる。「PERT法の経験があって、乗り切れた!」

国立大学法人理学部長会議声明

2016年11月3日

データを持ち帰って、自宅で仕事をする積りが、一部のデータをコピーし忘れていて、出勤。

ふと、「国立大学法人理学部長会議からの基礎科学の推進に関する声明」なるものが出されていることを知る。理学部長会議の大もとのページをリンクしたかったが、見つからないので、検索でヒットした一番上のものを。

国立大学法人理学部長会議、基礎科学の推進に関する声明を発表 | マイナビニュース

基礎科学の重要性を訴えることは、すばらしい。ネット検索すると、多くの大学が大学のホームページに挙げている。

しかし、大きな違和感がある。知的探求ここそが知的生命体たる由縁の活動。「いつか役に立つ」から基礎科学を行うのではない。結果として「いつか役に立つ」はず、なのはOK。「いつか役に立つ」が目的だと誤解されないように。それだと、役に立つことを目的とした研究と、理念として同じになってしまう。もちろん、企業経営の観点から見ると、5年先にしか実用の目処がない研究なんて「いつか役に立つ『基礎研究』」と同じ、というような実情は分かっていることです。